Column


Vol.44(2012/04/29)
 

 東急線「旗の台」駅の裏路地にある魚料理の店を小林さんと出たのは夜の11時頃だった。5月も終わろうとするのに冷たい雨が二人の傘を濡らしていた。ミャーミャーという子猫の鳴き声が聞こえる。立ち止まって周りを見渡したが何も見えない。気のせいかと思い歩き出すと、またミャーミャーの泣き声。目線を上げてみると工事中の足場に若い女性が猫を抱いて立っていた。「子猫がいるんですよ」「誰かが捨てていったみたいです」不安そうな彼女の元へ駆け上がると、目も開いていない子猫が彼女の腕の中で悲鳴をあげていた。「どうするつもりなの?」無責任に聞いてみた。すると若い男性が現れた。彼氏らしい。「俺たちで飼いたいんですけど、アパートがペットダメなんですよ」悲しそうにいった。やさしい若者だ。「小林さん家、ネコ居ましたよね。もう一匹どうですか?」私はまた無責任なことをいった。

 私たち4人はしばらくの間、小さな命の今後について適切な方法を話しあった。結果「とりあえず今夜一晩だけ預かるよ」小林さんが重い口を開いた。「そのかわり今晩だけ、明日引き取りに来てくれるね」若いカップルに向かって真剣な顔をしていった。「わかりました。よろしくお願いします」彼らは申し訳なさそうに頭を下げた。次の日、約束どおり若いカップルは小林さん宅へやってきて病院には連れて行ったが、引き取ってはいかなかった。それから毎日小林さん宅に連絡をしてきたが引き取りに来ることはなかった。子猫がミルクを飲むことを覚え、目が開いた頃には、若いカップルは来なくなってしまった。すこし無責任な話だと思うが、小林さんの愛情に託そうと考えたのだろう。自分たちが今焦って飼い主を探すより子猫にとってはより幸せになるのではと…。

 小林さん宅は一軒家だがすでに2匹のネコがいるためこれ以上飼うことはできないという。それでも彼の指を乳首代わりに吸う子猫に家族中が愛をそそいだ。トイレのしつけが終わろうとする頃、里親探しが始まった。

 彼は日々元気になる子猫の写真をほぼ毎日のように私の携帯に送ってきた。どうやら私に里親になることを勧めているようだ。私にも飼いたいという思いはないわけではなかった。小林さんが私に里親を勧めるのには理由がある。実は私もネコを飼っているからだ。しかしネコ同士は相性がとても大事ということを以前何かの本で読んだことがあり、2匹飼うことを躊躇っていた。と同時に、旗の台で小林さんと一緒に子猫と出会ってしまった私は、小林さんに子猫を預かってもらっていることに対して申し訳ない気持ちもあった。
そして梅雨も明けた頃、小林さんの努力が実を結び、子猫は彼の仕事の取引先の女性に無事引き取られた。

 彼が育てているときは「旗ちゃん」と呼んでいたが、引き取り先の人にその名前を伝えることはしなかった。後日、彼が名前をたずねると「ハナちゃん」と名づけられ、フカフカのジュータンの上で寝ている姿が写メで送られてきた。
雨の中、工事現場で拾った命がつながれて、今幸福に暮らしている。私には何もする事ができなかったが、小林さんのおかげでしあわせのお裾分けをいただいた。ありがとう…。

 

Vol.43(2011/01/27) 一杯のカレーうどん


 少し早めに昼食をとろうと豊島区内の老舗そば屋に入ると中では初老の男性がひとりビールを飲んでいる。すでに瓶が空になりもう1本頼もうかどうか迷っているように見えた。やがて「おやじ、もう1本」と小声で言ったがやや耳が遠いと思われるご主人には声が届かない。私が「ご主人、もう1本ビールだってさ」と伝えようかと思ったが、おせっかいはやめた。私は野菜そばを注文した。そば屋のカツ丼や親子丼もうまいが、そば屋のラーメンなど中華も意外に口に合う(うまい)。注文してから野菜そばが出来るまでの間、その人がとなりのテーブルだったこともあり気になってしかたがない。しばらく様子をみていると、先程よりすこし大きな声で「おやじ、カレーうどん」とビールをあきらめたようだ。こんどはご主人にも聞こえ、間もなくカレーうどんが運ばれてきた。豪快で美味そうだ、次にこの店に来た時はカレーうどんにしようと考えた。「すごい大盛りだなぁ、カレーがこぼれそうだよ」男性はつぶやきながらカレーうどんを食べ始めた。私の目にはすごくうまそうに見えるそのカレーうどんだが、男性はけっしてうまそうには食べていない。いやそれどころか二口食べてやめてしまった。そして「おやじ、帰るよ、勘定してくれ」。私は残されたカレーうどんが気になった。もちろん「もったいない」とも思った。

  女将さんが器をさげに来た時、「あの人、ほとんど食べないのに、なんでカレーうどんを注文したんだろうね。」私は余計なことを聞いてみた。「あの人いつもそうなのよ、すこし変わっているのよ」と女将さん。「あんなに残されるといくらお金もらったとしても作り甲斐がないよねぇ」と言うと「そうねぇ…」と女将さんはため息をもらした。ふと私は「一杯のかけそば」の話を思い出していた。

  店を後にして駐車場まで歩いていた時、あの男が残したカレーうどんがまだ気になっていた。確かに私でも、食べたいものを注文したにもかかわらず途中でお腹一杯になって残してしまうこともある。しかし普通半分くらいは食べる筈。しかしあの男性はわずか二箸だけ、二口しか食べていない。何故?と思った時、男性の意図がわかるような気がした。昼時にビール1本で長居するわけにもいかず、お店にも貢献しないと申し訳ない。そう考えあまり食べたくなかったカレーうどんを注文したのだろうと推理できた。それならチップを置いていけば?という考え方もあるが、それがあの男性の気持ち。恥ずかしいのか、そういうシャラクサイことはできないのだろう。

  そういえばその男性が11時30分頃に入ったとして12時5分前には帰っていった。12時から会社員や近所の人が来て混雑することを気遣っているのだろう。結果や見えるものだけで判断してはいけない、人の思いはもっと深いとことにあるのでは……。

   私が店を出たのは12時10分。店はすでに客で満席になっていた。


Vol.42(2011/10/28) 古き良き地名、クジラの話


 茨城の田園地帯に「鯨」という地名があり、東鯨と西鯨に分かれている。海の近くと想像されるかもしれないが、実は関東平野の中央に位置する。その「鯨」を挟むように小貝川と鬼怒川という2本の川が流れている。その昔、太平洋から利根川、利根川から小貝川と鮭のように川をさかのぼって鯨がここまでやって来たのか、と子供心に思ったことを記憶している。大人になって考えればありえない話だが内陸で貝殻や魚の化石が見つかったりすることもある。ということは今では想像できないところでも本当に鯨がいたと考えることは単なる空想でもない。鯨の隣には「砂子」、その隣は「亀崎」と、海に由来する地名も数多く点在するのである。

 地名には必ず意味がある。そこで鯨と付いた理由を少し想像を膨らませて考えてみると、@遠くから見ると立体的な森が鯨のように見えた A上から見た地形が鯨に似ていた B鯨の名を持つ領主が存在した C古くから平地だったことから久平(くひら)という言葉が訛って鯨になった D地域の有力者の顔が鯨に似ていた E地域を治めている殿様の大好物が鯨だった、などなど。文献や歴史書で調べることなく、思いつきだけで書いているので悪しからず。

 ところで、北海道の釧路から登別に向かう海岸線沿いに鯨半島というところがある。遠くから見ると確かに鯨が丘に打ち上げられたような形をしている。その昔、アイヌの人たちが鯨だと思い込み一生懸命捕獲に向かったそうだと、地元の友人に言われて実際に見てみたが、確かに納得。どこまで近づいたときに、「鯨ではない!」と気づいたのか、そしてその後彼らのとった行動は…とても気になる。

 東京港区では、笄町、材木町、霞町、本村町、芝白金三光町など昔の地名が消えてゆき、西麻布、南麻布、元麻布、東麻布に変わり、また1丁目、2丁目などと細分化された。東西南北、そして1・2・3・4と分かりやすくしたと思われるが、返って分かりづらくなった気がする。北麻布がなくて元麻布があるのは何故?

 目黒区には、今でも平町、柿の木坂、八雲、鷹番、碑文谷など、昔の情緒のある地名が残っているところもたくさんみられるが、中には「南」という殺風景な地名に変わった地域もあり、ずっとそこに住んでいる方々がとても残念なことだと話していた。外苑西通りと六本木通りの交差点が「西麻布」に変わってからかなりの時間が経過したけれど、今でもタクシードライバーには「霞町の交差点」のほうが通じたりする。同じように建築不動産業界も、広さや単価を現すとき公的にはuを使うが、坪を使ったほうがピンとくると言う人も多い。

 文化が変わることはごく自然なこと。しかし、地名は人に例えると名前。簡単に変えるのはいかがなものだろう。合理的というだけで地名が変わることにはいささか不自然さを覚えるのは私だけなのだろうか。


Vol.41(2011/07/30) 喫茶店


 モーニングセットをオーダーするとなんだか得した気分になれる。レモンスカッシュとクリームソーダが人気メニュー。ランチのメニューはナポリタンとカレーライス。席に着くとオシボリと水を運んでくれる。喧騒の世界を離れ、ひと時のリラックスタイム、そんな古き良き喫茶店。

 今はオープンカフェに代表されるように、外の世界と一体化させようとしている。また、可能な限り外の景色が見えたほうが人気店になる。そしてほとんどがセルフサービス。コーヒー一杯の料金は200円から精々400円。そこには名物マスターや気前のいいママは存在せず、マニュアルの対応だけが目立つ。

 20年前、コーヒー一杯の相場は500円から700円でおもてなしあり。セルフサービスはバブルが弾けてから流行りだした。今思えばこのころから「何事も安いほうがいい」というデフレ現象が始まった気がする。サービスという目に見えず形が無いものに対する価値が認められなくなったのだ。人々の心は余裕が無くなり、世知辛いことも多くなってきた。

 「運んでもらうだけで300円余計に払うならセルフでいいよ」。経済的には一理ある話。しかし、「300円で運んでくれて、片付けてくれるなら安いよ」という考え方もあるだろう。要は価値観次第ということだが、問題なのは目に見えないものを認めない事実と300円余計に払える人が払わなくなったという現実。

 飲食店も会社も人件費がウェイトを占めるため、そこを削って価格を下げる。そしてこの社会には仕事が氷のようにだんだん溶けて無くなっていく。そんな今、レトロな喫茶店にいるとなんだかとても落ち着く。もてなしている人の心ともてなされている人の一体感のある空気が流れ、外の景色は全く見えないが、日常をすこしだけ離れた空間が心地良い。

 知人におもしろい人がいて、一緒に喫茶店に入っても決して自ら進んで注文はしない。私が注文するまでじっと待つ。そして私が注文するやいなや必ず「同じものを」という。ウェイトレスが先にその人に注文を聞いてしまう時もあるが、その時も決まって「この人と同じもの」と私を指差す。店員はあきれた顔で私に注文を確認する。

 彼曰く「喫茶店とはくつろぐ所であって、何を飲むかは全く関係ない」。余程嫌いなものでない限り注文はいつも決まって「同じもの」。また、「提供する側のことを考えても同じものを注文したほうが効率いいだろう」ともいっていた。私以外の人と喫茶店に入っても同じらしい。こんな人だらけなら喫茶店にメニューはいらない。奇特な人だ。先日カフェに誘った時、私が「注文は?」とその奇特な人に聞いてみると、「あなたと同じもの」だった。セルフサービスのカフェでは変えてもいいのでは…?

 カフェはひとりひとりが中心の多面体。喫茶店は客みんなとスタッフがひとつの空間を共有しているように思う。そんな世界で私はお店の人がやさしく運んでくれるコーヒーをゆっくり味わいたい。そこにいい音楽が流れていれば尚更心地よい…。