Column


Vol.30(2008/10/30) 群馬のばあちゃん

 国道20号「平川」の信号の先、右側にあるガソリンスタンドをうっかり通り過ぎてしまった。戻ろうか、次にしようか一瞬迷ったが、戻ることが嫌いな私は結局次のスタンドに入ることにした…
 「満タンおねがいします!」「日光からの帰りですか?」「いや、片品からの帰りで、この先のドライブインで味噌を買って、それから家まで帰るんですよ」そのとき何故私はガソリンスタンドのお兄ちゃんに、味噌を買うことを伝えたのだろう。特に意図はなかったが、心の奥で味噌情報が欲しかったのかもしれない。

 「味噌なら尾瀬市場の右から三軒目に、元気のいいおばちゃんがやっているお店がいいですよ。他にも手作りのものがいろいろあって、どれもうまいですよ!」スタンドを出ると早速私はその市場に向かった。市場には物産店が4軒と食堂があった。その店はどこ? とキョロキョロしていたら、ひとりのおばちゃんが目に入った。「味噌ありますか?」と尋ねてみたが、「あっ、はい」と気のない返事。その左側の店にもうひとりのおばちゃん発見!「味噌ありますか?」と言うと、「あるよ! あるよ! ばあちゃんが作ったうまい味噌あるよ!」…「ここだ!」と確信した。顔はしわだらけ、そして赤みを帯びた頬っぺたを見ると、「農産物」+「手作り」=うまい、の方程式が見えた。この人が作っているのなら間違いない。

 店内には、家族連れと思しき人たちが8人ほど食事をしていた。客のお父さんが「休日にここにきて昼ごはんを食べるのが楽しみで、となり町からそのためだけに来るんだよ」と私を見ながら自慢げに話した。「ここの店は午前中、それも早めに来ないとダメだよ、品物がなくなっちゃうからさ」とアドバイスももらった。

 このおばあちゃん、私が買おうとすると必ず「味見してみて」と言う。「作ったものに自信はあるけど、味には好みがあるからさ」だそうだ。納得して買ってもらいたいのであろう。産地を偽ったり、誇大表示して売ったり、ましてや楽して売ることなど全く考えていない。職人の模範、商人の鑑だ。

 唐辛子味噌を口にしてみた。予想通りの美味さだったが、やがて辛さが効いてきて「ひぃ~」と言うと、おばあちゃんは「そんなに一度に食べたら辛いよ、これ一緒に食べて、ハハハッ」と、でっかいおにぎりを差し出してくれた。先程のお父さんは「キュウリも合うよ、食べるかい?」。なんともほのぼのした雰囲気、これも一種のスローライフ?

 味噌、唐辛子味噌、玉ねぎの漬物を手に、代金を払おうとすると「全部で2千円でいいよ、ハハハッ」と言う。確か2,500円のはず? すべて手作り、労力はおばあちゃん自身、だから代金も気持ちで決めているようだ。「悪いね」と立ち去ろうとしたら、「これ一個持っていってよ」と特大のキャベツ。「バイクだから積めないんだ」「そうか、ならこれ持っていきなよ」と500円とマジックで大きく書いてある袋に入ったラッキョウをくれた。「ありがとう、すまないね」、「いいよいいよ、ハハハッ」とおばあちゃん満面の笑み。

 最初のスタンドに入り損ねたことからこの展開。出会いとは不思議なもので、何が幸いするか最後の最後までわからない。もし最初のスタンドに寄っていたら、あのおばあちゃんに出会うことはなかったのだろう。そしてあの味噌も一生口にすることはなかったかもしれない。また別な季節におばあちゃんに会いに行ってみよう。


Vol.29(2008/7/26) 由紀ちゃん
 由紀ちゃんは50年以上前に島に渡ってきた大五郎と花子の孫。三郎という兄貴と五郎という弟がいる、平成元年生まれの19歳。性別はもちろん女性。水風呂が大好き。人間の歳だとおおよそ60歳らしいが、未だにとてもキュートな顔立ち。住民票は由布島で、西表島と由布島を一日7時間、何度も往復する。大柄な仲間は20人乗せるが、比較的小柄な由紀ちゃんも16人を乗せ、暑い日差しの中で無言で車を引っ張る。時速1.5キロ、決して急がない、なんともスローな足取りだ。何を考えながら歩いているのだろう、へんなことを思いながら私は乗っていた。あまりにも重たそうなので降りて後ろから押してやろうかとも考えた。突然、おじい(船頭さん)が三線引いて歌い始めた。すると客も一斉に歌いだした。周りのみんなはその歌を知っていた。…私だけが取り残された。

 渡り出してから15分、周囲2.15キロで4万坪、海抜1.5メートル、住民は15人と大五郎一家とその仲間、パラダイスガーデン由布島にやっと着いた。道のりは400メートルの引き潮の海。しかしそれはまっすぐ歩いてのこと。由紀ちゃんはカーブを描きながら前進するので距離は2割増だったろう。そして途中で必ず一度立ち止まる。体の自然現象のために…。由布島は全体が砂でできている亜熱帯植物園。私は島をのんびり1時間歩いてみた。途中東海岸沿いのカフェで立ち止まるとオリジナルアイスクリームの文字が目に入った。いちばん自信があるのは?と店主に尋ね、「泡盛アイスクリーム」を勧められたが、予想外に美味だった。それから小学校跡と大きなガジュマルの木を横目に見ながらリュウキュウイノシシ、オオゴマダラチョウ、クジャク、ヤギ、七面鳥、ポニー、コンゴーインコ、由紀ちゃんの仲間に次々と挨拶をして回った。台風の後いなくなってしまったリスザルに会えなかったのが悲しかった。乗り場に戻ると、来るときはせいぜい15センチだった水かさが、1メートルほどに増していた。

 帰り道は由紀ちゃんの後輩に引かれていた。対岸から仲間達と一緒に由紀ちゃんがやってきた。潮が満ち始めたルートを誰と競うこともなく、先程より更にゆっくりと渡っている。彼女が渡り切るまで私の目は彼女から離れなかった。

 由紀ちゃんの健気な仕事ぶりは、沖縄で見たものの中で一番の感動、そして南の島のスローライフを大いに感じさせる貴重な経験だった。

 また行くことがあれば、是非、由布島の由紀ちゃんを指名してみよう。




Vol.28(2008/4/26) 四季
 春には春の花が咲きます。私たちは四季があることを当然だと思っています。寒いのが苦手な私は、常夏の国の人たちがうらやましくなります。それは、寝るときに布団がいらない、短パンTシャツで暮らせる、洗濯物が少ない、靴下を履かなくて済むなど、面倒なことがないからです。しかし日本が常夏になることは望みません。やはり私たちは冬があるからこそ春や夏が待ち遠しくなり、暖かい季節を思いきり楽しめると思います。

 地球上には一年中裸同然で暮らしている常夏の国の人や、一年中毛皮を着ている極寒の国の人がいます。これらの国にもきっと四季のようなものがあり、それなりに楽しんでいることと思います。私たちにはそれを感じることはできませんが……

 初ガツオに春野菜、スイカにカキ氷、くだものに秋野菜、熱燗に鍋料理。最近は食品技術の発達により、季節に関係なくさまざまな野菜や果物を口にすることが出来るようになりましたが、味のないトマトや香りのないきゅうりは目を閉じて口に入れると何を食べているのかわからないことがあります。やはり季節に合ったものを食べたほうが間違いなく美味しい筈です。ファッションも四季折々で、四季がない地域の人たちに比べると4倍楽しんでいるのかも知れません。興味のない人にとっては衣類代の負担が大きくなるでしょうが…。

 北海道の人が冬の東京に来ると、家の中の寒さに驚くそうです。また、北欧の人から日本の方が寒いと聞いたことがあります。寒い地域の家の中はずいぶん暖かくしているようです。

 東京は寒くなっても滅多に氷点下にはなりませんが、冬場のゲレンデはマイナス10度以下になります。しかし私は東京の方が寒く感じてしまいます。先日、青森出身の知人から教わったのですが、雪を見ると「寒い」ということを最初に視覚で感じ取り、次に肌で感じる。その時体はすでに寒さに順応しているのであまり寒さを感じないとか。東京は雪がないので、直接体で寒さを感じてしまうらしいのです。納得!!でした。動物と同様に人も季節の変わり目を迎えると心も体も次の季節への準備をします。すべての生物は自然に順応しているようです。

 一般的に、寒い季節を「苦しみ」や「我慢の時」、暖かい季節を「楽しみ」や「発散の時」と例えています。また、春は新芽が出ることから、物事が好転することを意味します。

 5月に入りすべてが鮮やかに映り、いたる所で花が咲き乱れ、鳥たちも元気に飛び回っています。そして私たちの夢も叶いそうな気持ちになります。

 朝顔は数時間、桜は一週間の開花。ふたつとも私たちが好きな花です。
 儚い(はかない)という字は、「人の夢」と書きます。これが日本人の心の奥底にある美学なのでしょう。また、四季は日本人の感性にも大きな影響を与えているような気がします。


Vol.27(2008/1/31) 酒酔い
 「二度と酒は飲まぬ!」飲み過ぎた朝、思います。しかし、日が沈み、暗くなるにつれてその思いがどこか遠くへ消えてゆきます。そして酒の妖精が歌いだします「今日も~お仕事ゴクロウサマ~、まあ一杯~やってくれ~」と。私はいつも妖精の指示に従います。まず、ビール1杯、次に芋焼酎3杯、ここまでが毎日の最低量。気分が良いとさらに1杯2杯、そして種類を変えてもう1杯。酒は食べ物に合わせて何でも飲みます。私は決して酒が強い方ではなく、単に好きなので毎日飲みたいだけなのです。

 酒を飲む楽しみは「ふわふわ~っ」とした無重力な気分でしょうか。さまざまな酒癖がありますが、気持ちが寛容になり陽気になる人が多い中、「すこしくどくなる」ことだけは「酒飲み」全員に共通していることかもしれません。

 どんな「酒飲み」も大抵は許せますが、過去に1度だけ許せないことがありました。その場にいない人の悪口を呑みながら延々3時間も話していた人。話題がないのか、性格なのか、その人の飲み方と話の内容は私の限界をはるかに超えていました。当然、その後その人と杯を交わすことはなくなりました。

 酒に限らず、音楽や会話、雰囲気、恋や夢など「よろこびに酔う」こともあります。少し昔のサッカーの試合ですが、ジョホールバルの歓喜のときは二日酔いどころか1週間も酔い続けていました。反対にドーハの悲劇のときはその悪夢に10日間も悪酔いをし、周りの人に迷惑をかけたのかも知れません。気持ちを切り替えるのが下手な私は「悪酔い」のほうが長続きしてしまうようです。

 ところで、酔ったときの失敗談は皆様お持ちだと思いますが、当然私も例外ではなくたくさんの経験をしています。飲み会を終え、高田馬場から渋谷まで山手線に乗ったときのこと。たまたま空いていた席に座りました。次駅の代々木までははっきり覚えていたのですが、その後爆睡、気が付いたら渋谷でした。まだ渋谷?…しかし時計を見てみると、電車に乗ってから1時間以上過ぎていました。そうです、ひと回りしてしまったのです。東横線の最終電車には、当然間に合いませんでしたが、「山手線一周は1時間かかる」ということを学びました。

 話を戻しますが、みなさんにとってお酒はどんな存在ですか?そして酔うとはどういうことですか?「芸術がなければこの世は闇」と言いますが、私は「酒がなければ…」と言いたいところです。一日の仕事のしこりを残さないように、時にはその日の余韻に浸るため、私は今日も酒を口にするでしょう。二日酔いにならない程に、そしていい夢が見られるように…


Vol.26(2007/10/31) 誕生日
 毎年誰にでもやってくるお祝い。そうです、誕生日は平等にやってくるのです。そして毎年お祝いする人、しない人。ひっそりお祝いする人、大勢の人を集めて派手なパーティをする人。
 私が知る限り、日本には「誕生日祝いの歌」がないことに最近気付きました。パーティの席では決って「Happy Birthday to you...」。そして誕生日祝いにケーキは何故? 理由はバレンタインデーのチョコレートと同じですか? 歳の数だけローソクを立て、一気に口で消すのは何故?

 誕生日にはプレゼントの習慣もあります。生活必需品、身に付けるもの、置物飾り物系、ケーキやお酒などの飲食関係、手作りのもの、食事に招待、などさまざまです。すこし大袈裟ですが、プレゼントを見ると持ってきた人の価値観や性格がわかる気がします。気まじめな人、大雑把な人、シャレの分かる人、サービス精神が旺盛な人、細かい人、ケチな人、見栄っ張りな人、寛大な人など。もちろん、その人との付き合いの度合いや立場(友だち、先輩、後輩、恋人、仕事関係など)を考えてプレゼントを決めているのでしょう。
 誕生日が1年に何回もある人がいるそうです。ということは、もし5回だとすると、1年に5つ歳をとり、一般の人が二十歳になったとき、すでに100歳。還暦や喜寿米寿を過ぎてから成人式を迎えるのです。反対に、うるう年の2月29日に生まれた人が成人式を迎えるのは5歳。なんと20倍もの差があるのです。5歳と100歳のひとが同時に成人式を祝う、なんとも滑稽な話です。私が知っている「年に誕生日が5回ある方」とは、二十歳を過ぎてから誕生日を5回に増やした女性です。その部屋は「有名ブランド品の誕生日プレゼント」でいっぱいだそうで、金欠病になったとき、それらのプレゼントが癒してくれるのだとか…。

 私は誕生日の想い出があまりなく、派手な誕生日パーティの経験もありません。歳に関係なく、なんだか照れるのです。友人に「パーティやってあげる」と言われても、大人気なく断ってしまいます。ひっそりお祝いするのが性に合っているのかもしれません。プレゼントをいただいたことはありますが、誕生日を覚えてくれているだけで充分です。若い頃に一度だけ、年一回の自分へのご褒美をと思い、自分にプレゼントを買い、自分で自分にお祝いメッセージを送ったことがあります。なんだかナルシストのようですが、私には決してそういう感覚はありません。誕生日の贈り物に限らず、買い物は自分のものより誰かにあげるものを買うときの方が私にとっては楽しいのです。それも一緒に買うよりも、その人を想いながら買うものや色を考えると心がウキウキします。時には失敗することもありましたが…。

 成人式の日、私は内装屋でジュータンを貼るアルバイトをしていました。現場に向かう途中、明治神宮あたりで振袖を着た美しい女性を横目に見ながら、クルマで通り過ぎたことを記憶しています。

 これからも幾度となく誕生日がやってきます。大人らしく、恥ずかしがらず、堂々と迎えたいと思っています。


Vol.25(2007/7/31) 花火
 東の方角にドーンと音がすれば、東へ走り出す。西の方角でドンドーンと鳴れば、足早に西へ向かい、そしてできるだけ近くで見物する。火の粉をかぶれば病気にならない、何かとご利益がある、そういう花火は縁起物とされていた時代がありました。

 夏場だけで全国で3,000箇所、プライベート花火や学園祭の花火など、花火大会として正式に指定されていないものを含めると数限りないと思います。花火は…一瞬の儚さ、すぐに消えてしまう尊さ、潔さ…そして夢。花火を見ている人の屈託の無い笑顔を見ていると幸せな気持ちになります。次回花火を見に行かれた時、打ち揚げ中に是非一度、観客席を振り返って見てください。みんなとてもいい顔をしていて、「笑顔に理屈はいらないなぁ」、と実感します。

 元来「祭り」には豊年万作とか疫病を追払うといった「願い」や「供養」など、人の心が込められていたりします。夏に祭りが多いのは、たまたまだったのです。「隅田川」が東京でいちばん有名な花火大会だと言われていますが、始まりのきっかけは夏の疫病を追払う願いがあったそうです。隅田川の花火に限らず、「祭り」や「花火」は当初の目的とは離れて最近では「楽しいイベント」になり、今や花火は夏の風物詩です。

 花火は人が創り上げる美しさ、そしてその技術と芸術性を競い合います。花火をこよなく愛したある花火家が「化学反応としての花火と芸術としての花火が存在する」と語りました。一度にたくさん打ち揚げるエキサイティングな演出花火は世界中にたくさんありますが、ひとつひとつを見せる花火は日本が一番!技術は群を抜いています。特に外輪だけでなく、芯がいくつもある真ん丸の花火(八重芯、三重芯など)は日本のみで作られ日本でしか見ることができないものです。また、最近は日本でも数少ない昼花火(煙の色で演出する)も他国では拝めないもののひとつでしょう。

 日本の花火大会を大きく分けると、スポンサー花火大会(横浜港神奈川新聞の花火、東京湾の花火 他)、芸術花火競技大会(大曲の花火、土浦の花火 他)、スポンサー及び花火競技会(袋井の花火、諏訪湖の花火、長岡の花火 他)、テーマパーク花火(八景島、ディズニーランド 他)、イベント花火(高校や大学の学園祭、お祭りの花火 他)、伝統的な花火大会(隅田川の花火、三河地方などの手筒花火、片貝の花火、恵比須講 他)、プライベート花火(結婚式、誕生日、会社や団体の花火)です。

 最近は桟敷席など、花火大会にも有料席が増えましたが、場所を気にしなければどこの花火もタダで見られます。しかし、普通の花火大会はいざ知らず、有名な花火大会は、映画のようにプロデューサーや監督や演出家がいます。彼らはテーマを持って、観客席の場所、風向き、天候、タイミングを考えドラマチックに打ち揚げています。これからの花火は映画のように「あの監督だから見てみたい」「あの演出家だから見てみたい」と思われるような花火になっていくことでしょう。


Vol.24(2007/5/1) エイプリルフール
(4月1日から一ヶ月、今回の話題はタイムリーでなかったような…恐縮です。)

 西洋の習慣で公然とうそをつき、人をかついで良いとされる日。…4月1日の万愚節(All Fools' Day)のいたずらでかつがれた人。イギリスではかついだ人がかつがれた人に向かってApril fool !という。

 夢の話、想像の世界、非常識な話やありえない話、なんでもOK。このイベントに全く興味のない人も、いやそれどころか否定する人も多い事でしょう。日本ではタブーかもしれませんが、イギリスでは国王まで登場させ遊んでしまうという話しを耳にしたことがあります。AFに対する歴史と評価があり、それに国民性も日本とは違うのでしょう。日本であまり流行らない理由は、AFには「バレンタインデー」「ホワイトデー」や「クリスマス」のようにプレゼントの習慣が無く、また「ハロウィン」のようなグッズも無く、「土用の日」のうなぎや「端午の節句」の菖蒲のような対象物もなく、かといって正月や節分のような節目でもなく、縁起物でもなく、あくまで「こころの遊び」だけだからなのかもしれません。されど「楽しいイベント」だから今でもこの習慣が続いているのも事実です。

 かつての日本のドッキリカメラやイタリアのイタズラ番組では、ネタを明かした後、仕掛けられた人が笑ってしまうケースと、怒ってしまうケースがありますが、ジョークをジョークとして楽しむ人、洒落を洒落と理解する人、さまざまです。許せるか許せないかは内容と程度の問題でしょう。しかし、騙さなければ目的は達成できません。「皮肉がキツ過ぎる」「ブラック過ぎる」「誰かを愚弄する話」はNG。最後に「くすっ」と笑えるものがいいですが…。

 先月、エイプリルフールという春風がやってきて、少しの間私の傍に停滞し、そして僅かな思いを残し帰っていきました。今年の内容は…???まだ発表できませんが、2年程前は…「自分が企画する愉快な旅」の作文に応募したら最優秀賞になりスカンジナビア半島一周旅行が当ったけれど、どうしても仕事で行けないので誰か欲しい人に無償で譲る話。20人くらいにメールを送って、「是非行きたいのでお願いします」「仕事を調整しますので譲って下さい」と、ホントに信じている人が数人いました。後日フォローのメールは送りましたが…。送られた方は4月1日にメールを見るとは限らないため余計信じてしまうようです。他に、騙されたふりをする人、あきれている人、さまざまです。

 私は毎年このイベントを楽しんでいます。内容によっては友人知人が減ってしまうリスクがありますが、「おもしろいヤツだなぁ」と、より親密になれるケースもあります。可能性はどちらにも働きます。確かに、何もしなければ私の評判は、悪くも良くもなりません。しかし、私の周りにひとりでも…笑ってくれる人や楽しんでくれる人、息抜きになった人がいる限り、私はこれからも続けて行くつもりです。


Vol.23(2007/1/30)
 おでんの「でん」は「田楽」の意味で、野菜やこんにゃくなどに薄い味を付けて長く煮たもの。入る具と味付けは地方によって異なるでしょう。子供の頃、晩ご飯まで空腹がガマン出来なくて、学校帰りによく食べました。そのせいか、当時「おでん」はおやつでありごはんのおかずではないと思っていて、晩ご飯におでんが出るとがっかりもしました。味付けがごはんには合わないだけなのかもしれませんが…。

 今では冬の寒い日に、おでんをつまみながらイッパイやるのが楽しみで、数年前に新宿の屋台で常温の日本酒を呑みながらおでんをほうばっていました。屋台の周りは厚手のビニールで囲ってあったので真冬の割には寒さを感じませんでしたが、しばらくしてから店主に、「日本酒におでんのつゆを入れて飲むとうまいよ、お客さん」と勧められ、内心「そんなことないだろう」と思いましたが、飲食に貪欲の私はとりあえず試してみることにしました。普段はシンプルな食べ方、飲み方を好む私は、混ぜるということに反発しますが、この予想外にうまかった味に感銘を受け、それからしばらくは、おでん屋に行くたびにこの呑み方を楽しんでいました。

 おでんの他に酒のつまみといえば、「煮込み」(に込み、煮こみ、にこみ)、「肉野菜炒め」(肉やさい炒め、にく野菜炒め、肉野菜いため)。「にく豆腐」「肉どうふ」「肉豆腐」みなさんはどの文字がいちばん美味そうに見えますか?「鯵の開き」「あじのひらき」「アジの開き」の場合はいかがでしょう?「鳥の唐揚げ」はうまそうだけれど「トリのカラアゲ」では注文する気になれませんよね。

 「おでん」もひらがな3文字でないと、湯気が立ち、つゆがしみこんだ熱々のだいこんやこんにゃくが頭に浮かばないのではないでしょうか。「御田」と書いたらそれが何か分からないし、「お田」では酒の名前のようで、もし「オデン」と書いたら、おでんのイメージが沸かないし、うまそうにも思えません。

 このことは、ビジュアルを重んじるために学習本に写真やイラストをたくさん載せ、また、漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字を使い、言葉をまるで絵のように見ている日本人特有の感覚なのかもしれません。

 おでんが大好きだという人は少ないが、嫌いだという人もいない。私にしても「何が何でも今日はおでんが食べたい!」とは思いませんが、飲み屋で「おでん」をすすめられると必ず頼んでしまいます。

 冬の寒さに対抗できる「おでん」、いろいろな具が入り、見た目も華やか、つゆの染み具合で味も変化して行きます。冬の夜、もし屋台のおでんの具が一種類だけだったら、こんなに寂しいことはありませんよね。


Vol.22(2006/10/30)
 紅葉狩りにきのこ狩り、読書の秋、食欲の秋、そしてスポーツの秋。スポーツは相手と「勝負」するものと「記録」に挑戦するものの二つに分かれ、また「個人競技」と「団体競技」に分かれる。「個人」+「勝負」はテニス、卓球、バドミントン、柔道、ボクシング、相撲、など。「団体」+「勝負」はサッカー、バレーボール、バスケットボール、野球、ハンドボール、ドッジボールなど。「個人」+「勝負」に「記録」が加わると陸上、水泳、スキーなど。「団体」+「勝負」に「記録」が加わると水泳、陸上などのリレー競技。スポーツ以外で「団体」+「記録」と「個人」+「記録」はいわゆるギネスブック関係。

 団体球技のサッカー、バレーボール、バスケットボール、ハンドボール、ドッチボールなどはすべてテクニックは必要だが「騙し合い」のスポーツだと思う。シュートをしようとして切り返す、右へ蹴る振りをして左へ蹴る。スパイクを打ちそうな振りをして相手コートにポトリと落とす。野球の場合は局面での騙し合い、打者はストレートが来るかカーブが来るかを予測し、バッテリーは球種を読まれないようにする。投手と走者が騙し合う、リードと牽制球。数年前、サッカーの国際試合で、某国の某選手のすごい「駆け引き」というか「騙し合い」があった。前日、脚中包帯だらけで車椅子に乗っていた選手が、翌日の試合中絶好調で大活躍。ご記憶の方も多いと思います。

 個人競技に必要な技術、体力、精神力、経験、調子に加えてチームスポーツはコミュニケーション、コンビネーション、時には阿吽の呼吸、アイコンタクトが必要。一人だけが調子よくても、調子が悪い人がいても他のメンバーでカバーできるが、個人競技ではフォローすることも、されることもなく頼れるのは自分ひとり。

 個人競技の中ではテニス、卓球、バドミントン、柔道などには「駆け引き」も「フェイント」もある。全員が同時にスタートする陸上競技や水泳には駆け引きはあるが、フェイントはない。両方ともないのがシンクロナイズドスイミング、高飛び込み、体操、スキーのジャンプ、スノーボードのハーフパイプやジャンプ、サーフィンなど単独で競技を行うもの。

 サッカー、野球、バレーボール、テニス、スカッシュ、卓球、サーフィン、ゴルフ、水上スキー、スキー、スノーボード、スキューバダイビングなど、私もいろいろなスポーツを経験したが、その中でゴルフだけは特殊だと私は思っている。プロのようなショットをして喜んでいたら、次のショットは空振り。本当に不思議なスポーツ。メンタル面がとても重要でゲーム的要素が強い。練習場ではうまく打てるのにコースに出るとそうはいかない。スポーツは練習して経験を積めば上達する筈なのに、何故かゴルフだけは後退もする。

 「スポーツ精神に則り正々堂々と・・・」というけれど、実はほとんどが「騙し合い」と「駆け引き」の世界。練習して努力した分だけ緊張する真剣勝負の中で、それがスポーツをより面白くしている。


Vol.21(2006/07/29)
♪麦わら帽子は もう消えた たんぼの蛙は
もう消えた それでも待ってる 夏休み

 冬はまだ遠い、7月20目オンボロクルマて海に行った。途中でエンストしたけどカキ氷食べてしばらく待っていたら直っていた。帰り道、葉出てビーサン買った。やっと家にたどり着いて車止めてイカの丸焼きて生ビール…うまかった。散歩したくなったので、外に出てみたら遠くに間こえる打ち揚げ花火。音を目指してしばらく歩いた。音がだんだん犬きくなって花弁がすこし見えてきた、その瞬間白い花火が空いっぱいに広がり終わってしまった。喉が渇いた。家に戻れば冷えたスイカが侍っている。包丁を入れて、ブツッ、バリバリバリッ、かぶりついた。またまた、うまっ!

♪絵日記つけてた夏休み 花火を買ってた
夏休み 指おり待ってた夏休み


 やっぱり夏はいい。フトンをかけなくていい。寝るときはパンツ一枚だけ。出かけるときもジーパンにTシャツ1枚。素麺、冷麺、冷やし中華。ショウガにミョウガに冷やっこ。ギンギンに冷えたトマトもいい。

 みんな生まれた季節が好きというけれど、私か生まれたのは秋、ても夏がいちばん好き。なぜ夏が好きか?って、それは他に春と秋と冬があるから…。もし日本が1年中夏だったら夏がこんなに好きじやなかっただろう。夕暮れ時が好き、焼けた肌に涼しい風がふいて心地いい。

♪すいかを食べてた 夏休み 水まきしたっけ
夏休み ひまわり 夕立 せみの声


 季節ごと、特に真夏と真冬に毎年唇うことがある。肉体労働は真夏が一番キツイ。寒さは厚着や動けば温かくなるけれど夏の屋外の暑さは防げない。動けば動くほど暑くなる。学生時代、肉体労働のアルバイトをしていた私は、工事現場を見る度ついついこんなことを思ってしまう。冬には、特に雪が降ると、「ホームレスにはキツイだろうなあ」と思う。もし私がホームレスになったら目本の何処に往もうかなあなんてヘンなことを考えたりもする。肉体的には温かいところが楽だろうけれど食べ物がすぐに腐ってしまう。寒いところは(食べ物は長持ちするけど)好きじやない。それにフトンや毛布、着る物心たくさん必要だ。都会と田舎、どっちにしようかも考える。都会には食堂やレストランの残飯がいっぱいある。田舎は野生の果物や野菜みたいなものが転がっている。都会のぽうが雨風を凌げるところは多いはず。最悪の状況に陥ったとき、近くに交番もあるし病院もある。

 決めた!秋冬春は都会に暮らして、夏の一時だけは田舎にしよう。ホームレスの友だちも親威もいないのにこんなこと考えるのは私ぐらいだろうか。

♪畑のとんぼはとこ行った あの時逃がしてあけたのに
ひとりで待ってる 夏休み


 春は爽やかな新緑の季節、秋は実りと収穫の季節、冬は人や家の温もりが強く感じられる季節。そして夏はしあわせ花火と夢の季節。冬休みや春休みもあるのに、子供の頃の想い出はなぜか夏休み。そして大人になった今牡やっぱり、寒さが厳しい冬上り、こころが大らかになる暑い熱い夏が好き。

♪姉さん先生 もういない きれいな先生
もういない それでも待ってる夏休み


吉田拓郎「夏休み」より歌詞拝借